クロガネモチの花の匂い、かいでみて。

心の変化を記録したい ただの自己満日記

公衆トイレの掃除が楽しかった話②

「自分の中のマイナスも丸ごと受け入れて愛する」の意味が解らない!から抜け出せそうな気がしてきた話

 

自己啓発の書物や動画を見ていると、何度となく出てくるこの「丸ごと受け入れる」ですが、どういうことなのか、どうしたらできるのかが、解らないのです。

でも何かモヤモヤする出来事を深掘りしようと考えていると、一瞬わかりかけそうになることがあります。

何か掴めそうだけど掴めない、そんなおりかさんのトイレ掃除回顧録の続きです。



さくら庵の大掃除は、虫にいなくなってもらうことから始まる。
その辺に落ちてる枝で蜘蛛の巣を引っ掛けて、蜘蛛たち全員を庵の外の自然の中に移動する!
のが理想だったのだけど、そんなに上手く行かない。
だって改めて見てみると、すごいたくさん居るんだもん。
虫が苦手な私にとって、1匹移動するだけでも、まあまあの仕事なのに、それを大量になんてできるワケがなかった。
割と早めに諦めて、便器の掃除から始めた。
そして休憩時間が終わる頃に、全体に殺虫防虫スプレーを振りかけて庵を後にする。

 

私の快適のためにたくさんの虫の命を絶っていいのか、虫は何の悪いこともしていないのに急に殺されて意味がわからないだろうね、とか考えながら。
なぜかモヤモヤした。
1週間前はワクワクだったのに、モヤモヤに変わった。
これはなんだ?と考えてみたら、自分がいい人ぶっているから気持ち悪いのだと気づいた。
そう、私は偽善者。虫のためを想うような言い方しながら、本当は虫のためなんて想ってない。私はただ、殺生というマイナス感情が伴う行為を自分がしたくないだけだ。
誰かが抹消してくれるなら1番楽だ。それなら虫が可哀想とか思わない。
結局自分が良ければいいのだ。おー、こわい。人間怖い。

 

人聞きの悪いマイナスな部分を、知らないうちに綺麗事にすり替えている。
気づいてしまえば当たり前のことだけど、それまで気づいていなかった。
プラス思考!プラス思考!って。一見マイナスな出来事や思考をプラスに変換しようとしてきた。でもこの変換が曲者なんじゃないのか。マイナスをあるものとして認めてからプラスにフォーカスするんじゃなくて、マイナスを見ないように無いものとして勝手にすり替えようとしちゃってるのかな。で、何かの拍子にマイナス部分が見えると自己嫌悪に陥る。
そういうこと?
マイナスはきっとプラスとセットで存在しているのに、マイナスがあってはいけないと思っていたんだ。あるのが当たり前なのに、無くそうとしてた。できるワケない。あるんだもの。隠して隠して見ないようにしてたんだ。これは愚かだ。
これが愚かな完璧主義的思考か。
うーん。しかし、ビックリするくらい気づかないうちに隠してる場合あるんだよね。これにどうやって気づくかだよね。

 

あ、あと、内にあるマイナスと外にあるマイナスを混同していたのかもしれない。
プラスにフォーカスする、マイナスは見ない。それは外に限った話。
自分に関係ない外のマイナスは見なければいい。別に追ってこないし。プラスを見て吸収すればいい。でも内のマイナスはダメだよって。
これも当たり前のことなのに。
そんなことも分からず混同しちゃってるって、頭悪いなー。
頭の中の整理ができないのよね。だから作文も苦手。日記は整理の訓練。整理能力つくといいな。

 

公衆トイレの掃除が楽しかった話③ に続く。